FC2ブログ

札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2021/03/01

札幌市の西野幌

 昨日ブログからさらにまた、気になりついでで寄り道します。

 昨日ブログに記した下野幌排水のすぐ南、同じポンノッポロ川に注ぐ「西野幌川」という支流です。
河川網図 西野幌川
 上掲河川網図では赤い矢印を付けた先に当たります。「西野幌」が気になりました。
 
 現在図でこの川の周辺を俯瞰します。
現在図 野津幌川流域 上野幌、下野幌、小野幌
 赤い矢印を付けた先の水色でなぞったのが西野幌川です。

 札幌市の東縁のこのあたりは、もともと下野幌という地名の一帯です。西野幌川が流れる地帯は、現在の町名を「下野幌テクノパーク」といいます。ピンク色で塗った区域です。ほかの着色加筆の凡例を以下に示します。
 赤色:厚別町下野幌、黄色:厚別町小野幌、橙色(濃):厚別町上野幌、同(薄):上野幌(条丁目)
 濃い青(太線):野津幌川、同(中太線):小野津幌川、同(細線):ポンノッポロ川(小野津幌川の上流)

 上掲図でお示ししたかったのは野津幌川の流域と、札幌市内で「野幌」という地名にちなむ一帯です。現在の上野幌、下野幌、小野幌は、野津幌川と小野津幌川の両端に位置します。その中間すなわち野津幌川流域の中心部は、現在の地名は「青葉町」と「もみじ台」です。しかし、古くからお住まいの方にはいうまでもないことですが、元の字名は下野幌でした。さらには、JR函館本線の北側の厚別北と南側の厚別東も、かつては小野幌及び下野幌です。かつての下野幌や上野幌の一部は、現在の厚別中央や厚別南にも含まれています。

 古い地図などを参考にして、札幌市内でかつて「野幌」と付いていた一帯を現在図に示します(末注①)。
現在図 野津幌川流域 上野幌、下野幌、小野幌 (旧域)
 青く塗った区域です。結局、野津幌川の流域の多くが、(上・下・小)野幌でした。現在の区域を示した前掲図に照らすと、地名が本来の場所から辺縁部にあたかも遷移したかに見えます。地名の“上書き”のなせるわざです。文化は辺境に遺る。

 さて、上掲図で野幌と付いた一帯の中で、西野幌川はどこに位置しているでしょうか。東端です。野幌の東のはずれを流れているのに「西」野幌川。私がこの川名に惹かれたゆえんです。しかしこれも、このあたりに精通している方には不思議ではありません。市境を越えて江別市側の地名が「西野幌」だからです。西野幌川は、江別市西野幌から源を発しています。
 いうまでもなく、野幌は江別市にも分布する地名です。というよりも、ただ「野幌」だけだったら、江別市の地名としての認知度が高いでしょう。では、そもそも野幌はどのあたりを指していたのか。私は野津幌川の流域に由来すると思うのですが、ひとまず措きます。とまれ江別市の西野幌に発するならば、西野幌川は不思議でもなんでもありません。

 その西野幌川を私は2017年に撮ってました。 
西野幌川
 この画像を撮ったときはそこまで意識してなかったのですが、今になって稀少感が伝わってきます。 
 
 この場所が札幌市に位置するからです。これが江別市内だったら、気になりません。お隣の市の地名が越境しているところにありがたみを感じるのです。
 広域の市町村を流れる川はいくらでもありますし、自然の川が人為の行政区域にとらわれないのはむしろ自然ともいえます。上流の地名を冠した川の名前が下流で同じく称されているのも、ごく普通のことです(末注②)。にもかかわらず、「西野幌川」に一種の特異感を抱くのはなぜか。前述のとおり、野津幌の流域としては東端であるにもかかわらず、「西」野幌だからです。たぶん私には、野幌の文字どおり主流は札幌側にあるという観念が強いのでしょう。江別市の野幌は、“地名の引越し”の産物ではないか(末注③)。

 川に架かる橋の名前も、「西野幌橋」です。
西野幌橋
 川名(=線的な地名)だけならまだしも、橋名(=点としての地名)も越境しています。「西野幌川橋」なら、これまたまだしもです。まだるっこしいからか、「川」が端折られました。ますますもって興趣が湧きます。

 注①:以下の資料を参考にした。
 ・関秀志編『札幌の地名がわかる本』2018年pp.76-87、
 ・札幌市サイト「廃止町名一覧」ページ↓
  http://www.city.sapporo.jp/shimin/koseki/jukyo-hyoji/haishi-chomei1.html
 ・昭文社『エアリアマップ 札幌市街図』1977年
 厳密には、たとえば現在の青葉町5丁目は厚別町旭町だった区域もあるので、上掲図の色塗りはかつて「野幌」と付いた地域のおおまかな範囲として理解されたい。
 注②:長野県内に発する千曲川は、下流の新潟県では「信濃川」と称される。「信濃から流れてくる川」だからか。隣国の地名を冠するほうがむしろ自然な例である。
 注③:この現象と用語は山田秀三先生による。2020.6.29ブログ参照。ただし、江別市の野幌を“地名の引越し”とみることができるか、もう少し検証を要する。ひとまずは保留する。
スポンサーサイト



2021/02/28

厚別区の西区

 下野幌第1排水のことは昨日ブログで終えましたが、例によってというべきか目移りしてしまいました。河川網図を見ていて、気になったことが別に出てきたのです。
河川網図 野津幌川支流
 先日来の下野幌第1排水に黄色の矢印を付けました。野津幌川の支流です。

 気になったのは何か。川の名前です。「第1排水」の「第1」。序数詞を用いるのは、一般にモノ・コトの順序性を示して区別する場合です(末注)。しかるに、まわりに第2、第3と付く排水は見当たりません。
 近辺で似かよった名前は、橙色の矢印を付けた先の「下野幌排水」です。小野津幌川の支流ポンノッポロ川のそのまた支流として流れています。これが、名前の付け方として腑に落ちません。どちらが川として先に告示されたか(順序)にもよりますが、橙色のほうが先に「下野幌」と付けられたのなら、黄色に「第1」は不自然です。もし黄色が先で「第1」と付けたなら、橙色には「第2」とするのが自然に思えます。仮に黄色と橙色が同時に告示されたときは、片方に「第1」と付けるのがこれも解せません。考えられるのは、過去に第2、第3と付く排水がほかにあったか、あるいはのちのち第2、第3と付けていくことを想定していたか、です。前者の場合、第2、第3はのちに廃川となり、後者では結果的に第2、第3は付けられなかった。

 上掲河川網図ではもう一つ、気になる川の名前が見られます。赤い矢印を付けた先の「西区第2排水」です。野津幌川の下流で、支流の「厚信川」の上流に当たります。こちらは「第2」と付けられていますが、周辺に「第1」はありません。同じ野津幌川の支流で、上流には第2のない第1があり、下流に第1のない第2が流れています。 
  
 その西区第2排水を見てきました。
西区第2排水
 JR函館本線を跨ぐ厚別跨線橋の下を一部、明渠として流れています。
 第2排水もさることながら、厚別の旧地名である「西区」の名残を探しましたが、残念ながら見つけられませんでした。 

 注:もっとも、具体的な順序ではなく、抽象的・仮想的に“最高”“至上”の意味合いで命名される場合もあろう。「第一生命」とか、戦後の私立高校で全国各地に見られる「○○第一高校」など。戦前の旧制高校や旧制中学、旧制高等女学校の“ナンバースクール”(あるいはその系譜を受け継いでいる公立校)の第一や第二は順序性だが、私立の高校で「第二」とか「第三」と冠するのは聞いたことがない(ただし、東海大学の付属高校のかつての「第四」などは同じ系列内の順序性である)。本件河川のごとき実務的な行政名称で、後者の抽象的用法は考えづらい

2021/02/27

地表に垣間見せる暗渠排水の気配

 昨日ブログに続き、下野幌第1排水を鑑みます。
 私がこの現役河川に気づいたのは、先述したとおり札幌市河川網図を見てのことです。しかし、その前に現地を歩いたとき、地元の町内会役員のOさんから「ここは今も水路が通じている」とお聞きしていました。その付近の“気になる風景”を画像に収めてもいました。にもかかわらず、札幌市の管理河川を現地で認識したとはいえません。“鑑識力”がまだまだ足りませんでした。

 私が撮っていた“気になる風景”の地点を現在図(色別標高図)で示します(標高15m未満から1mごと20m以上まで7色段彩)。
色別標高図 下野幌第1排水 青葉町11丁目
 本件排水路とおぼしき流路を河川網図に基づき、黒い実線でなぞりました。撮影箇所は、○数字の位置と向きです。以下、番号順に載せます。

JR千歳線の高架下
青葉町11丁目6 JR高架橋
 この画像は2月25日ブログで載せました。ここから南(画像左方)へ、象の鼻状に本件排水路の前身たる無名川が谷を削っています。ここが“気になる風景”だったのは、高架下の道です。理由は後述します。

青葉町11丁目 行き止まりの道
青葉町11丁目 下野幌第1排水 ②
 左方の青いクルマが置いてあるところで、道が“どん詰まり”になっています。

同上 弯曲して行き止まりの道
青葉町11丁目 下野幌第1排水 ③
 画像右方に細い道が弓なりに奥へ伸びています。しかしこの道も行き止まりです。 

 これまでの①②③地点を、札幌市地図情報の認定道路図で示します。
札幌市地図情報 認定道路 青葉町11丁目
 青い矢印線が認定道路(札幌市道)です。①の千歳線高架下は、この地図によると道路認定されていません。②③もしかり。②は指定道路すなわち私道です。③は前掲画像のとおり現状はいかにも道路ですが、認定も指定もされてません。②と③の間は道路として通じていてもよかろうところ、それぞれ行き止まりです。

同上 中途半端な空地
青葉町11丁目 下野幌第1排水 ④
 左右両側の住宅地とはフェンスで仕切られ、手前の歩道とは車止めで遮られています。この種の中途半端感漂う空地はこれまでも、ところどころで見てきました(末注)。

同上 野津幌川高水敷の物件
青葉町11丁目 下野幌第1排水 ⑤
 前掲④の空地の地先とおぼしきあたりに工作物が設けられています。樋門のようです。

 これだけの風景を撮り集めたなら、暗渠排水という結論を帰納的に導き出せそうなものです。地表に表れた断片的事象から地下に隠れた物件を推理する。かような帰納的推理力を磨いて何になるか。土地の成り立ちを読み解く感性? いやいや、大義名分を振りかざすのはやめましょう。まあ最近は、世の中に暗渠マニアという人種もいるようです。勘違いで、推理力を畏敬されるかもしれません。それもないか。
 雪が融けて地面が露わになったら、あらためて現地を鑑みなおしたいものです。

 注:2020.4.4同3.82018.10.28各ブログほか参照

2021/02/26

下野幌の無名川の名前

 昨日ブログまで私が下野幌の無名川としてきた川には、名前がついていました。しかも現役の河川として、です。

 なんのことはない、札幌市河川網図2020年版に載っています。
河川網図 下野幌第一排水
 「下野幌第1排水」です。札幌市管理の普通河川(暗渠)。

 色別標高図にその河道を引き写します(標高15m未満から5mごと40m以上まで7色段彩)。
色別標高図 下野幌第1排水
 赤い実線でなぞりました。

 同じ一帯の空中写真1976(昭和51)年です。
空中写真1976年 下野幌第1排水 推定流路
 この付近に写る水路とおぼしきを、同じく赤い実線でなぞりました。

2021/02/25

ヌポロに嵌まる

 下野幌の谷底平野に地理的特異点を見出し、泥炭地に嵌まるごとく嵌まり込んでしまいました。昨日ブログに続き探訪します。

 2月17日ブログに載せた色別標高図です(標高15m未満から5mごと40m以上まで7色段彩)。
色別標高図 下野幌 泥炭地
 今回の道のりを黒い実線で示し、以下、○数字の番号順に画像を載せます。
 白ヌキの太い実線は下野幌の古道跡(昨日ブログ参照)、途中の赤い線の部分が2月23日ブログでお伝えした箇所、その北側の小さい三角形は下野幌まるやま公園(2月17日ブログ参照)です。

青葉町11丁目 JR高架橋
青葉町11丁目6 JR高架橋
 JR千歳線はここから南へ、谷を跨ぎます。2月21日ブログで記した無名川が削った谷です。泥炭堆積物の地層でもあります。

同上
青葉町11丁目11 JR高架橋
ここに千歳線が通じたのは1973(昭和48)年です(2018.12.8ブログに関連事項記述)。近代的な土木技術が泥炭地への架橋を可能にしました。

青葉町12丁目 同上
青葉町12丁目1 JR高架橋
 谷の右岸側の斜面が見えます。無名川は画像の右から左へ流れていました。

同上
青葉町12丁目1 JR高架橋 北望
 ③の反対側からの眺めです。かつての川の流れは、左から右へという向きになります。この画像を撮った地点は「青葉町11・12丁目2号線」という市道名ですが、この道も大正時代の地形図に載る古道です。古道は手前から左方のカーブミラーの奥へ通じていました。

青葉町13丁目 無名川の谷地を南望
青葉町13丁目 元釣り堀跡
 冒頭の標高図を見ると、このあたりから南へ(画像上、奥へ)、象の鼻状に谷を削っています。谷地ですね。正面は現在高齢者施設ですが、古い住宅地図によると釣り堀でした。いや、古い地図どころか手元の5年前の市販地図にはまだ、「つり堀藤景園」と書かれています。

 冒頭の標高図と同じ一帯の2008(平成20)年の空中写真です。
空中写真2008年 青葉町13丁目 藤景園付近
 前掲⑤の画像は、黄色の矢印を付けた位置と向きに当たります。矢印の左下に写る正方形状の二つの池が釣り堀ですね。

 空中写真を1976(昭和51)年に遡ります。
空中写真1976年 青葉町 釣り堀
 釣り堀は3つ、ありました。

 空中写真の1961(昭和36)年です。
空中写真1961年 現青葉町13丁目あたり
 細い水路が北東から南西へナナメに通じ、あばら骨状に畔が写っています。当時はまだ水田だったようです。無名川を水路化して、稲田としたのでしょう。

青葉町13丁目 高齢者施設の門柱
青葉町13丁目 高齢者施設の門柱 藤景苑の名残
 自然木の門柱は釣り堀当時の名残を漂わせています。

 グーグルストリートビューで2010年に遡ったら、やはりそうでした。「松尾ジンギスカン・和風料理 藤景苑 巨鯉つりぼり」の看板が写っています(「園」ではなく「苑」)。名残物件を確かめられたのはストリートビューのおかげです。
 ここについ最近まで一大レジャー施設があったことに無頓着でした。JRの車窓からよく見ていたにもかかわらず、です。泥炭地→水田⇒釣り堀。なくなってから初めて、土地の記憶であったことに気づきました。迂闊なことです。
 この谷地を削った川を先日来「無名川」と記してきましたが、これも迂闊でした。川は今も現役で流れています。しかも、ちゃんと名前も付いてました。

2021/02/24

古道・下野幌線はなぜ、通じたか?

 先日来、野津幌川中流域の谷底平野に迷い込んでいます。コトの発端は地元の町内会役員のOさんを訪ねたことです。コロナ禍のせいで遠出がしづらくなった“おかげ”ともいえます。厚別区に住んで30年余にして、徒歩圏内の近場に“私の知らない厚別“がまだまだいっぱいあることに気づいた始末です。

 標題の答えは、これまでに載せてきた古い地図を広域で俯瞰すればおおよその見当がつきます。
地形図 1916年測図1918年発行「月寒」 下野幌の古道
 1916(大正5)年測図地形図「月寒」です。2月17日ブログに載せた区域で再掲します。

 市道下野幌線の昨日ブログで歩いた部分は、赤い矢印を付けた「まるやま」(2月17日ブログ参照)の南側です。このあたりには大正時代、この道しかありませんでした。道は黄色でなぞったとおり、西方で現在の国道12号に通じています。当時の厚別の中心市街すなわち旭町と下野幌の開拓農家を結んでいました。
 昨日ブログの末尾に「昔の道だからわかりづらい、のではありません」と記した理由も、この地図が示しています。ほぼ一本道ですから、たとえ弯曲していても迷いようがありません。

 標題の意図は、正確には「なぜ、この場所に通じたか?」です。結論的にいうと、私はその答えをやはりこれまで載せた地図に見出しました。
産総研 地盤地質図 市道下野幌線 下野幌のっぽろがわ公園付近
 2月20日ブログに載せた産総研「札幌及び周辺部地盤地質図」2006年です。前掲1916年地形図に描かれている古道を黄色でなぞりました。市道下野幌線の昨日ブログで歩いた部分はその途中の橙色の箇所です(赤い矢印の先は2月18日ブログでお伝えした下野幌のっぽろがわ公園)。

 2月20日ブログの記述と同じく、ここでも「ミソは、この地点にピンク色の泥炭堆積物が入り込んでいることです」。古道は、「ピンク色の泥炭堆積物」の帯を、できるだけ避けたのではないか。橙色でなぞった道筋は、泥炭地の北側です。昨日ブログでも述べたとおり、「まるやま」の外周にも当たります。地盤が比較的硬かった(というよりは、軟らかくなかった)(2月17日ブログ参照)ところを選んだように見受けられます。

2021/02/23

古道・下野幌線の弯曲

 厚別区の古道「市道・下野幌線」を逍遥します。
色別標高図 市道下野幌線
 標高図は2月18日ブログに載せたものと同じで、標高15m未満から1mごと20m以上まで7色段彩です。
 ⓪と付けた地点が昨日ブログの末尾に載せた画像の位置と向きです。以下、○数字を付けた地点を順に載せます。
 
JR千歳線の高架をくぐったあたりから、東を眺めました。
市道下野幌線①
 野津幌川の谷に向かって下り坂です。

坂を下りたあたりで振り返って、尾根側を見上げます。 
市道下野幌線②
 この道はJRの線路が敷かれる前から通じていました。 

坂を下りて、道は南へ曲がります。
市道下野幌線③
 画像正面はJRの高架です。鉄路は尾根の上から谷にかかり、高架で通しています。古道はまっすぐには進みません。画像左方(東方)の道にさらに曲がります。

弯曲した道です。
市道下野幌線④
 このあたりは、地図を見なかったら迷うところでした。

ここでまた、弯曲した道に出ます。
市道下野幌線⑤
 下野幌線は右へ折れて南へ進みます。この弯曲は2月18日ブログでお伝えしたように、野津幌川の旧河道に沿ったためです。
 古道は、その手前の③から⑤の間も弯曲しています。こちらの弯曲はこれまで載せてきた古地図などでお察しいただけるかと思いますが、「まるやま」の外周と想われます。前掲標高図に白ヌキ三角形で示した「下野幌まるやま公園」の由来です(2月17日ブログ参照)。

 それにしても、この一帯は前述したように私には地図なしでは歩けない迷宮でした。弯曲に弯曲が重なり、しかもその途中で細い路地が入り組み、方向感覚が乱れてしまうのです。念のため申し添えると、昔の道だからわかりづらい、のではありません。「弯曲に弯曲が重なり」は山(まるやま)と川(野津幌川)という自然地形に拠り、「途中で細い路地が入り込み」は市街化(=宅地造成)に因ります。前者は前近代、後者は近代の論理です。前近代の弯曲だから混乱する、のではない。前近代と近代のせめぎ合いがカオスを生んでいるのです

2021/02/22

野津幌川の地理的特異点? (承前)

 野津幌川に局所的にみられたつづら折りの蛇行について、2月19日から昨日ブログまで鑑みてきました。かようなつづら折りがなぜ生じたか、私の推理をまとめると以下の2点に集約されます。
 ①熊の沢川や無名川を集めて谷を削り、小平野が拓かれた。
 ②泥炭層が川の上流域まで及んでいた。
 本件蛇行は①と②が重なったことによってできたのではないか。これが私の結論です。本件を地理的な特異点と表現する根拠として、特に②が合わさったことを挙げます。

 「札幌の泥炭地」です(末注)。
「札幌の泥炭地」『さっぽろ文庫77 地形と地質』
 「厚さ2m以上の区域」が薄墨で塗られています。野津幌川上流域のつづら折りに蛇行していた地点を赤いで囲みました。

 同じ一帯を色別標高図で俯瞰します。
色別標高図 野津幌川上流部 泥炭地
 標高10m未満から10mごと60m以上まで7色で段彩しました。

 泥炭地と聞いて私が抱く印象を言葉で表すと、“荒涼・茫漠たる原野”です。札幌の泥炭地の大半は標高10m未満の、しかも平坦な地域に分布しています。今でこそ市街地が広がっていますが、かつては“荒涼・茫漠”という表現に違わなかったでしょう。
 しかるに本件つづら折り蛇行の地点は内陸部で、標高17-20mと比較的高く、のみならず狭隘な谷間です。標高だけでいえば石狩川の上流域の高い地帯にも泥炭地は分布しているようですが、谷間的な地形という点では珍しいのではないでしょうか。特異点とした所以です。もっとも、私にとっては泥炭地が原風景にはなかったので、そのものが特異ではあります。シャーロック・ホームズ物や『嵐が丘』でしか知らなかった異国的世界です(2019.9.30ブログ参照)。とまれ、本件は泥炭地の一般的な分布からみると特異な地点と鑑みました。

 その野津幌川の谷間を眺めます。
市道下野幌線 青葉町4丁目から東望
 厚別区青葉町4丁目から東向きに望みました。下り坂の道が鉄道の高架をくぐった先に、野津幌川が流れています。その谷底がくだんの特異点です。

 厚別区に住んで30年余にして、私はたぶん初めてこの坂道を下りました。厚別区の古道であることも最近知ったばかりです。「下野幌線」という市道名にも、“古道感”が漂っています。この道を載せたのは、その“通じ具合”にも上述の特異点が絡んでいるような気がしたからです。長くなったのでひとまずここで終えます。

 注:二ツ川健二「軟らかい地盤の形成」『さっぽろ文庫77 地形と地質』1996年p.221から引用

2021/02/21

野津幌川の地理的特異点? 

 川の流れのごとく蛇行しながら、野津幌川の逍遥を続けています。つづら折りに蛇行する地点を、昨日ブログで「局所」と記しました。地理的な特異点と言い換えられるかもしれません。
 
 1916(大正5)年測図2万の5千分の1地形図「月寒」(2月19日ブログ参照)を、みたび眺めます。
地形図 1916年測図1918年発行「月寒」 野津幌川「まるやま」付近蛇行
 野津幌川を濃い青でなぞりました。赤い矢印を付けた先が現在の下野幌のっぽろがわ公園の位置です。その南側でつづら折りに蛇行していました。

 この600mほど上流で、別の川が南東から野津幌川に合流します。地図上で「野津幌川」の「野」と書かれた地点です。支川は現在、やはり直線化されましたが、厚別区もみじ台の市営住宅団地街を流れています。熊の沢川です。
 支川の熊の沢川とは別に、南西にも沢地状の地形が窺えます。水色でなぞりました。大正時代のこの地図で、すでに川の流れは描かれてません。しかし谷を削って、かつては野津幌川に注いでいたのでしょう。その合流点あたりで、本川たる野津幌川がつづら折りに蛇行しています。一帯は昨日ブログで述べたように谷底平野です。左岸側の崖線を等高線に沿って茶色でなぞりました。上流の南東から熊の沢川、南西から無名川を集めて小平野を拓いたかに見えます。
 昨日ブログでは「ミソは、この地点にピンク色の泥炭堆積物が入り込んでいることです」とも述べました。

 泥炭堆積物の地質を上掲地形図に重ねます。
地形図 1916年測図1918年発行「月寒」 野津幌川「まるやま」付近蛇行 泥炭地
 野津幌(野幌)の由来はアイヌ語のヌポロ、「野の中」の意です(末注)。湿地堆積物を流れる川にヌポロは、言い得て妙と想います。つづら折りの蛇行も、水を含みやすい土地でいっそう促された結果といえないでしょうか。すんなり水が流れ下らず、土砂も溜まりやすい。これは門外漢の妄想域ですが。

 注:山田秀三『札幌のアイヌ地名を尋ねて』1965年p.92

2021/02/20

野の中の川 蛇行のフラクタル(承前)

 昨日ブログの続きです。野津幌川のつづら折り蛇行を読み解きます。
 本来ならば、そもそも川はなぜ蛇行するか、から始めるべきです。が、それを正確にかつわかりやすく説明する力量は私にはありません。自然地理や河川工学の専門の記述等を参考にしていただくとして、先に進めます。

 野津幌川流域を広く俯瞰した色別標高図です(標高10m未満から10mごと60m以上まで7色段彩)。
色別標高図 下野幌のっぽろがわ公園 野津幌川流域 広域 
 野津幌川を白ヌキ実線でなぞりました。赤い矢印の先が先日来話題にしている下野幌のっぽろがわ公園です。そのすぐ南で川がつづら折りに蛇行しています。正確には、かつて蛇行していました。蛇行は、札幌の南東部から野幌にかけての丘陵を削ってきた川が低平部に下りたあたりで生じたかのようです。

 同じ流域一帯をシームレス地質図(産総研)で眺めます。
産総研シームレス地質図 下野幌のっぽろがわ公園 野津幌川流域 広域 
 濃い青でなぞったのが野津幌川です。元図の色分けの凡例は以下のとおり。
 ピンク色:大規模火砕流、黄緑色:段丘堆積物、薄い水色:谷底平野・山間盆地・河川・海岸平野堆積物、濃い水色:湿原・湿地堆積物
 
 つづら折り蛇行の位置は、薄い水色の上流部と窺えます。「谷底平野・山間盆地・河川・海岸平野堆積物」ですが、川が拓いた谷底平野の一帯、その上流部といってよいのではないでしょうか。野津幌川を概観すると、4万年前の支笏火山噴火による火砕流堆積物の一帯を流下して平野を拓きました。つづら折りの蛇行は、火砕流堆積物が薄くなった低平部に川が下りたところで生じたと見えます。
 川が上流から土砂を運ぶ→低平部で川の位置エネルギーが低下する→土砂が停留・堆積しやすくなる→自ら運んだ土砂の堆積によって川の流路が妨げられる→流れやすい方へ向きを変える→また土砂が溜まり、流路の変更を余儀なくされる→その繰り返しでつづら折りの蛇行が形成される。とりあえずの結論です。
 この地点よりも下流ではますます位置エネルギーが下がり、運ぶ土砂が細粒化したと思われます。大きくて重い礫は運びづらい。その違いが蛇行の形成にも影響したのかもしれません。この地点がつづら折りを作る局所になったといえなかろうか。

 地質図を微視的に観ます。
産総研 地盤地質図 野津幌川 下野幌のっぽろがわ公園付近
 産総研「札幌及び周辺部地盤地質図」2006年から抜粋しました。濃い青が野津幌川、赤い矢印の先が下野幌のっぽろがわ公園の位置です。元図の色分けの凡例は以下のとおり。
 紫色:先沖積層、水色:谷底平野堆積物、ピンク色:泥炭堆積物

 前掲のシームレス地質図に照らすならば、先沖積層が大規模火砕流、谷底平野堆積物が谷底平野・山間盆地・河川・海岸平野堆積物、泥炭堆積物が湿原・湿地堆積物に当たりましょう。
 ミソは、この地点にピンク色の泥炭堆積物が入り込んでいることです。前掲のシームレス地質図ではそこまで分布されていませんが、上掲の札幌及び周辺部地盤地質図では微細なモザイク状に描き分けられています。この一帯は、札幌市域で泥炭堆積物が堆積するもっとも内陸部です。偶然か必然か、その分布とつづら折り蛇行が重なっています。さらには「まるやま」(2月17日ブログ参照)の地形とも関わり合っているようですが、長くなりましたのでここで留めます。

ホーム

HomeNext ≫

 

プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

カレンダー

02 | 2021/03 | 04
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

最新記事

最新コメント

カテゴリ

閲覧者数(2015.9.4からカウント)

検索フォーム

ランキング

↑ クリックすると、ランキングが見れます。

月別アーカイブ

管理画面

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

最新トラックバック