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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 新型冠状病毒退散祈願

2020/08/08

テレビ局の横並び

 昨日ブログで台風一過のことに触れました。正確には温帯低気圧ですが、“野分またの日”はなにかしら空気の違いを感じます。昨日の暦を知ったせいもあり、秋の空気を感じてしまいました。

 それはさておき。北1条西8丁目の南東角です。 
北1西8 南東角 STV 
 STV(札幌テレビ放送)が立地しています。

 左方ににょっきり屹立しているのはNHKの新しい電波塔ですね。本年10月に移転予定でしたが、先日の報道によると来年6月に延期されました(北海道新聞2020年8月4日朝刊)。「新型コロナウイルスの感染拡大により設備工事や機材の製作が遅れたため」(同)とのことです。私も先月、「器(建物)はできていても、中身(設備)が大変なんです」と聞きました(7月12日ブログ参照)。「普通の引越し以上にコロナの影響が大きいんですよ」と。
 因果なことにというべきか、オリンピックのマラソン・競歩は新放送会館で放送されることになります。新旧会館ともに、東京五輪絡みになるわけです(7月3日ブログ参照)。開催されればというか、開催できれば、ですが。

 再びそれはさておき、です。
 NHKが移転すると、札幌の放送局はTVh(テレビ北海道)以外、北1条西○丁目に所在することになります(末注)。
現在図 札幌の放送局所在地
 現在図に各局を赤いで示しました(橙色はNHKの現在の位置)。TVhは大通東6丁目ですが、北1条・宮の沢通に面しています。HBC(北海道放送)は所在地は北1条(西5丁目)ですがこの通りには面していないので、「HBC以外は北1条・宮の沢通に面している」ともいえます。
 
 これは何かを意味しているのでしょうか。時空を遡ると、札幌中心部の街の成り立ち(の一側面)を物語っているのかもしれません。そういえば、キリスト教会も主なものが北1条にあります。
 TVhのひとり創成川以東という立地が、キー局・テレビ東京の独自路線を象徴しているようにも見えてしまいました。いまテレ東のことを「独自路線」と決めつけましたが、これは多分に私の思い込みです。すみません。お察しいただけるかと思いますが、独自路線を悪いと言っているのではもちろんありません。そのような印象が彼の局に定着しているとすれば、勝手ながらむしろ光栄とすべきことです。
 
 三度それはさておき、本題はSTVのことでした。しかし前置きで長くなってしまったので、本日はこれでやめて先送りします。

 注:ケーブルテレビ(J:COM札幌)は除く。NHKは現在も、建物の一部は北1条西1丁目にかかり、北1条宮の沢通に面している。しかし公称している所在地は大通西1丁目である。
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2020/08/07

打振る野分に破壊の葉音の

 内地は梅雨が明けたと思ったら、はや立秋です。テレビのニュース番組では「台風から変わった低気圧が北海道に接近」と報じられました。昨日から今日にかけて特に日本海側は天気が荒れ、札幌も日中は風が大変強かったと思います。実際、台風一過のような風の吹き具合でした。
 なぜこれを記すかというと、「いつの間に、日本に台風が来てたのか」私には意外だったからです。気づいたときにはすでに、台風から変わった温帯低気圧が北海道の目の前に近づいていました。しかしこれは私の感覚にすぎません。気象庁のサイトで天気図を遡ってみたら、台風の進路がちゃんと示されていました。台風4号です。
 
 なぜ私がこの台風に気がつかなかったか。おそらく、ニュースであまり取り上げられなかったからだと思います。では、なぜあまり取り上げられなかったのか。このたびの台風の進路のせいでしょう。その進路を、時系列で以下示します(末注)。
 7月31日15時 フィリピン東方海上に熱帯低気圧発生
 8月1日21時 台湾の南東海上で台風に変わる(4号)
 8月2日 台湾の東方海上を北上
 8月3日 台湾の北東から、東シナ海を北西へ進む
 8月4日3時 中国大陸南東部に上陸、大陸東岸を北上
 8月5日9時 黄海へ抜けて北上
 8月6日3時 朝鮮半島に上陸、横断
 同日9時 朝鮮半島東岸で温帯低気圧に変わり、日本海を北東へ進む
 本日(8月7日)3時 北海道の日本海側に接近
 
 つまり今日の未明までは、ほとんど日本国内に影響がなかったのです(たぶん)。これがもし、日本の近海を通って内地のどこかで上陸するかしないかという進路だったらどうでしょうか。予想も含め、逐一ニュースで図示されて報じられたことでしょう。「中国大陸に上陸しました」とか「朝鮮半島を横断しました」という報道は(海外での被害が大きかった場合を除いて)、あまり聞いたことがありません。その結果「この先、北海道に近づくでしょう」というような予想も、なかった。内地に上陸したり横断したりしていると、「これはもしかしたら北海道に来るかもしれない」という“心の準備”をもたらします。大体は途中で温帯低気圧に変わるとしても、です。教訓。北海道の場合、大陸方面を進む台風にも目が離せない。
 と想っていると本日9時現在、またフィリピン東方海上に熱帯低気圧が発生しました。さて、これはどう進むのだろうか。
 
 注:気象庁サイト「過去の天気図」ページに基づく。
 ↓
https://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/wxchart/quickmonthly.html
 前述の「上陸」等は天気図上で明らかになった日時を示したもので、必ずしも実際の正確な時刻とはいえない。

2020.8.8追記気象庁サイト「台風経路図」によると、2020年4号台風の経路は以下のとおり。
気象庁 台風経路図 2020年4号 加筆
紫色の矢印付き実線で朝鮮半島東岸まで記されているが、その後の経路はまだ描かれていない(2020年8月8日午前10時現在)。赤い実線は、「天気図」ページに基づいて私が加筆したものである。

2020/08/06

豊平川扇状地を濃尾平野に較べる

 一昨日ブログで私は、扇状地と沖積平野下流部の違いに想いを巡らせました。前者は40年余り暮らしてきた札幌、後者は幼少期20年足らずを過ごした愛知県西部(尾張地方)です。前者が後者の倍以上の年数ですが、年を取るほど体感的には時の過ぎるのが速いので、実際の年数ほどの差は感じられません。
 私はともすれば、幼少期の原体験を基準にして第二の故郷たる札幌を理解しようとしがちです。いわば“原体験バイアス”でしょうか。バイアスをできるだけ除くべく、このたび客観的データによって故郷と第二故郷の比較を試みました。用いた客観的データは、例によってというべきか色別標高図です。

 (1)まずは札幌の中心部から。
色別標高図 豊平川扇状地 標高1m未満から83m以上まで7色段彩
 豊平川扇状地です。扇の弧を描いています。

 (2)札幌中心部を含めた石狩平野です。
色別標高図 石狩平野 標高1m未満から83m以上まで7色段彩
 図(1)の一帯を白ヌキで囲みました。標高段彩は図(1)と同じです。
 
 豊平川扇状地が石狩平野のどのあたりに位置するか、わかります。私はこれまで、扇状地を沖積平野の一部だと思ってきました。いや、もちろん平野の一部には違いないのでしょうが、山稜部との境目と見ることもできるなと思い直したのです。
 
 (3)次に、郷里の濃尾平野を俯瞰します。
色別標高図 濃尾平野 標高1m未満から83m以上まで7色段彩
 木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)による沖積平野です。
 客観的に比べるために、図(2)と図(3)は同じ縮尺、同じ面積、同じ標高段彩で作りました。標高段彩の凡例は以下のとおりです。
標高段彩凡例 標高1m未満から83m以上まで7色
 図(1)札幌中心部に合わせて自動作成機能によって段彩しました。

 これに照らすと、同じ沖積平野でも図(1)図と図(3)でまず一つ、明らかにわかる違いがあります。濃尾平野は、標高が低い。濃い青は標高1m未満です。いわゆる「海抜0m地帯」が、かなり内陸まで広がっています(末注①)。

 (4)最後に、濃尾平野の中心部です。
色別標高図 濃尾平野中心部 標高1m未満から83m以上まで7色段彩
 私が小中高と過ごした愛知県稲沢市とその周辺です。図(3)にやはり白ヌキで囲ったところに当たります。平野の中央域ではあるものの「中心部」というのは口幅ったくもありますが、古代尾張国の国府が置かれ、国衙や国分寺、尾張国総社が設けられたというので、あながちでもありますまい(末注②)。 

 それはさておき、この図の面積と縮尺、標高段彩は図(1)の札幌中心部と同じです。較べてみて一目瞭然、わが郷里には勾配というものがほとんどありません。標高、高低差ともにわずかです。まっ平ら。標高はこの図の北端(東海北陸自動車道の一宮ジャンクションあたり)で約6m、南端の津島市神守町、西尾張中央道付近で-1mです。約12㎞の距離に対し、高低差は約7m(勾配率0.58/1000)しかありません。
 私の原風景には、坂道とか崖、斜面はなかったのです。体験的にはいわば二次元的な空間に限られ、鉛直方向を含めた三次元的空間認識は形成されなかったといってよい。現在同居している齢93の老母は近所を散歩すると、ほんのちょっとの高低差に敏感です。40-50mの距離に対して40-50㎝ほどの勾配(10/1000)でも、「ここは坂がきつい」とこぼします。
 
 あらためて図(1)の札幌中心部を眺めると、段違いに広がる扇の弧の、なんと変化に富み美しいことか。
 図(1)南端が扇状地の扇頂に近く、札幌市南区役所(南区真駒内幸町)あたりで標高が約90mです。一方、図の北端には札幌市北区役所(北区北24条)が位置します。扇状地の扇端を通り越して後背低地に当たり、南区役所からは北へ直線距離にして11.25㎞、標高は約9mです。両者間の勾配率は7.2/1000になります。
 この扇状地を濃尾平野に当てはめると(それも乱暴ですが)、扇頂は犬山から岐阜県東濃の山稜部に近いのだなと一人合点しました。木曽川は、犬山城の山崖を削るあたりではかなり急流です。しかしこの比較はおそらく、愛知県西部と札幌の二地域をともに体験したという限られた人種以外には意味をなさないですね。
 札幌のリンゴ栽培が気候に加えて風土のたまものだったことが、在住40年余にして少しわかったような気がします。

 注:2019.9.14同9.26同9.27ブログに関連事項記述。いわゆる標高(海抜高度)というのは、東京湾の平均海面を基準とする。したがって、愛知県西部の海岸部で伊勢湾の海水面よりも土地が低いかというと、必ずしもそうではなかろう。
 注②:日下英之『稲沢歴史探訪』2004年、pp.7-48参照。2014.8.262015.6.5同6.7ブログに関連事項記述

2020/08/05

平岸村の冷水 ④

 旧平岸村の冷水探訪、最終回です。
 一昨日ブログで、「昔は『平岸2区冷水』という宛先で郵便が届いた」というHさんの回想を記しました。「平岸二区」というのは通称地名だと思います。澤田誠一編『平岸百拾年』1981年には「昭和十九年、旧豊平町の字名変更で部落名は次のように変更になった」として、「平岸二区=平岸上本村」とあります(p.340)。これは、行政組織としての町のいわば下部組織として位置づけられた住民組織(町内会・部落会)の名称です。当初は「平岸上本村」でしたが、字名改正に合わせて「平岸二区」になりました。行政地名のほうはどうか。関秀志編『札幌の地名がわかる本』2018年によると、1944(昭和19)年の字名改正前は「豊平町大字平岸村字平岸」でした(p.426)。改正後は「豊平町(字)平岸」となります(同上)。1961(昭和36)年の豊平町・札幌市の合併で「札幌市平岸」、その後「札幌市豊平区平岸」となり、さらには条丁目が付されていきました(同上p.95)。
 しかるに、です。
 Hさんのお住まいは、現在の町名でいうと「中の島○条○丁目」です。平岸の条丁目ではありません。ちなみに旧字名の「中ノ島」「中河原」「中島」は、旧大字は「平岸村」に属しましたが、改正後の字は「中ノ島」となりました(前述『札幌の地名がわかる本』p.426-末注①)。「中ノ島」は、豊平町・札幌市の合併で「中の島」となり、その後条丁目が付されて現在に至ります(同上p.93)。なお中の島における部落名としては、「中の島南部」が1944年に「中の島二区」になりました(前述『平岸百拾年』p.340)。

 平岸と中の島の行政地名・通称地名を、取り混ぜてコマゴマ記してきました。変遷を整理すると以下のとおりです。
(行政地名)
 札幌市豊平区平岸○条○丁目←札幌市豊平区平岸←札幌市平岸←豊平町平岸←豊平町大字平岸村字平岸
 札幌市豊平区中の島○条○丁目←札幌市豊平区中の島←札幌市中の島←豊平町中ノ島←豊平町大字平岸村字中ノ島(中島、中河原)
 (通称地名)
 平岸二区←平岸上本村
 中の島二区←中の島南部

 結局何が言いたいかというと、ほかならぬHさんのお住まいの場所がいわば地理的特異点(末注②)に在ることです。地名の変遷という視点から見た特異点。もともとは字「平岸」の一部だったにもかかわらず、字「中ノ島」を出自とする地名に移った。しかも、「冷水」という地名も入り混じっての大混戦?です。
 私は一昨日ブログで「崖線湧水を集めた豊平川の細分流に沿うかのように、豊平区中の島と同区平岸の町界(豊平区内の町名の境界)が分かたれている」と記しました。これはHさん宅所在地(中の島○条○丁目)を指してのことです。平岸は(崖=ピラ)の上、中の島は崖の下と、自然地形によって地名が分かたれています。Hさん宅の元の地名である冷水は、崖下の地形です。中の島に属するのは理に適っているとみました。しかしながら、かつては崖上地名たる平岸に属していたとなると、昔は理に適っていなかったということになります。
 重ねてしかしながら、これはヨソ者の勝手な解釈でしょう。昨日ブログで記したように、Hさんはもともと平岸村の本村からの分家です。地名は、自然地形だけでなく、人的要因にも規定されます。
 もう一つ特異なのは、ほかならぬ「冷水」です。これまた昨日ブログで私は、「『平岸村の冷水』は、豊平町大字平岸村の字の一つにもなったのでしょう」と記しました。1935(昭和10)年地形図には、平岸の一帯で「本村」「中島」「東裏」とともに大きく表記されています。しつこくも三度しかしながら、『札幌の地名がわかる本』では「冷水」は旧地名として列挙されていません(p.426)。原史料に当たっていないので歯切れが悪いのですが、正式な字名にはなってなかったのでしょうか。だとしたら、にもかかわわず地形図に大きく載っているのは、珍しいとはいえないまでも面白い事象です。
 Hさんは、住所が平岸から中の島に変わったことをどのように受け止めたのだろうか。先日伺ったときは、そこまでアタマが廻らなかったなあ。

 注①:ただし同書によると、字「中島」は字「中ノ島」と字「平岸」に分かれた。(p.426)。
 注②:地理的特異点については2020.5.6ブログ参照。この用語は私が勝手に造ったもので、科学的な概念規定には依らない。ただし、電網検索してみたら同じ言葉を用いている論文に当たった。私と同じ用い方をしているかどうかは措く。

2020/08/04

平岸村の冷水 ③

 私の川に関わる原体験は、広く言えば木曽川です。ものごころついた頃に住んでいたのは、その名も「愛知県葉栗郡木曽川町」でした(末注①)。ただし木曽川自体は大きすぎるせいか、川の流れそのものの印象は逆にあまり残っていません。直截的に身近な原風景は支流の中小河川や用水路ですが(末注②)、広い意味では母なる大河・木曽川にはぐくまれたといっていいでしょう。
 母の生家が木曽川堤(きそがわづつみ)のすぐそばだったこともあり、川とともに生きてきた人びとのくらしや営みが追体験されました。興味限局的な私の癖(へき)と相まって、なかんづく刷り込まれたのが「川島」です(末注③)。訪れた先や地図で中洲や川中島を観るつど、脳みそのアンテナが何かを感知して電気信号が脳内を走るよう(な気分)になりました。そういえば、トム・ソーヤーがハックルベリー・フィンと一緒に探険したのは、ミシシッピ中流のジャクソン島という川中島でした。好奇心をかき立てられたものです。また、小学高学年の頃だったか、社会科副読本の日本地図帳を眺めて興奮した覚えがあります。千葉県が利根川と江戸川に囲まれていることを知ったときです。「これは、一県まるごと巨大な三角州ではないか」と(末注④)。向後「中洲萌え」という地平を切り拓きたい。

 5万分の1地形図「札幌」1916(大正5年)からの抜粋です。
大正5年地形図「札幌」 冷水
 「冷水」と記されています(「冷」に「ヒヤ」とルビ)。

 「平岸村の冷水」は、豊平町大字平岸村の字の一つにもなったのでしょう。昨日ブログに引用したHさんの回想からすると、正式な字名から消えた後も通称地名として残っていたようです。
 Hさんは祖父の代に平岸村の本村から分家したとお聞きしました。祖父の代というのは、大正時代後半か昭和の初めです。本村でリンゴ栽培を営んでいた本家と同じく、分家のHさん宅も冷水でリンゴを作りました。分家として入る前、この地は桑畑だったらしいとのことです。

 前掲大正5年地形図で冷水付近を見ると、リンゴ畑を示す地図記号は読み取れません。しかるに下掲地形図には描かれるようになりました。
昭和10年地形図 冷水付近
 5万分の1「札幌」1935(昭和10)年からの抜粋です。「冷水」付近にも2箇所、「果園」の記号が付けられています。赤いで囲ったところです。両地形図が発行された間(大正5年-昭和10年)に果園が設けられたとすれば、Hさんの祖父が分家した年代と合います。

 ちなみに、大正5年地形図の冷水付近にも似たような記号が描かれていますが、これは「果園」ではありません。
 同図の「符号」凡例の一部を以下、示します。
地図記号 大正5年地形図
 「果園」は上段の左から二つ目です。大正5年地形図で冷水付近に描かれているのは、下段右端の「濶葉樹林」です。いまでいう「広葉樹」でしょうか。画像が見づらくて申し訳ないのですが、昭和10年図でも赤いで囲った果園の近くにこの記号が描かれています。
 果園は、大正5年図では平岸村本村を中心に精進川下流の「中島」でも一部見られます。昭和10年図になると、その面積がさらに拡がったようです。Hさんのお話では冷水は元は桑畑だったらしいというのですが、前掲図では桑畑は見当たりません(「桑畑」記号は上掲符号の上段右から二つ目)。

 前から気になっていたのですが、クワやリンゴが適するのはどんな土壌でしょうか。札幌近郊でのリンゴ栽培は平岸が有名でしたが、後には西岡、福住にも拡がりました。水はけが良いところで(も)根を張り、日照の良い斜面地で実を結ぶのに向いているのはわかります。ただ札幌の場合、豊平川右岸の扇状地扇端でも営まれました(末注⑤)。本件冷水といい中の島も、豊平川の氾濫原のようなところです。商品作物として農家には重宝された(「金の成る木」といわれた)とはいえ、またHさんのように本家が平岸りんごの草分けという経緯もあったとはいえ、土地を選ばなかったのでしょうか。
 クワの木もしかり、です。私は、桑畑も低湿地性と思い込んでいました。それは、前述の木曽川という原風景も影響しています。幼少期、河川敷(高水敷)のような一帯に桑畑を見ました。記憶違いの可能性も高いのですが、母からは「桑の木は水気の多い土地に向いている」と聞いた覚えもあるのです(2016.12.14ブログ)。札幌では明治の開拓期に扇状地扇端(いまの「桑園」あたり)で養蚕が試みられたというのも、私は腑に落ちてました。しかし、クワもまた水はけのよいところを好むのでしょうか。
 
 一つ考え直したのは、「氾濫原は必ずしも低湿地とは限らない」ということです。水の多い少ないと、水はけのよしあしは別問題。
 札幌扇状地も場所によっては礫分が多く、ということは(たぶん)地層の孔隙率が高く、水はけが良く、クワを含む果樹の生育に適っていたのかもしれません。逆に、水田稲作には向かなかったかも? 私の原風景たる沖積平野の下流部と札幌のような扇状地は、地質や土壌も異なるとみるべきでしょう。などと記したら、「いまごろ何を寝ぼけたことを」と嗤われそうです。地質や植生に造詣の深い諸兄におかれては、もし拙ブログを目に留められたらぜひご教示ください。ムシのいい話ですが、できれば中学生の理科程度の素養の私でもわかるように。

 注①:2016.5.26ブログに関連事項記述。現在は一宮市と合併して、同市木曽川町。合併により、古代からの由緒ある葉栗という郡名がなくなった。私の高校時代、名古屋市内在住者の中には侮蔑的な口調で「郡部」と呼称する者もいた。
 注②:2015.6.5同6.72019.9.26同9.27参照
 注③:2016.12.12同12.13同12.14同12.15同12.16ブログ参照
 注④:後年、現在の利根川は人工的に整形された流路であることも知った。ならば自然河川によって形成された三角州とはいえないか。
 注⑤:札幌地理サークル編『北緯43度 札幌という街…』1980年、p.144参照。「(リンゴ園は)明治期には、豊平橋の下流地区に多く分布していた。ちょうど、地形が扇端か自然堤防にあたり、水利にめぐまれたところであった」(同書)。

2020/08/03

平岸村の冷水 ②

 7月29日ブログの続きです。
 国道453号中の島通から西を望みます。
 国道453号 中の島通から西望 眼下に旧「冷水」
 眼下の鬱蒼としている一帯が旧平岸村の冷水(ひやみず)です。

 崖下に下りて、東方を眺めました。
旧平岸村冷水から東望 中の島通の崖線
 中の島通に沿ってそそりたつ比高約10mのピラ=崖です。

 札幌市豊平区サイト「とよひらふるさと再発見」ページの「107.平岸村の冷水」には、次のように説明されています(太字)。
 自然湧水。冷たくておいしい水だったので、昭和45年頃まで、人、馬の飲み水などに利用した。その後の水質汚染で、飲み水としては不適になり、現在は庭園の池の水に供し鯉を飼っている。

 それとおぼしき庭園が見えました。
旧平岸村冷水 中の島1-14 Hさん宅庭
 個人宅の敷地と窺われます。ちょうどご主人のHさんが物置から出てこられたので、お許しをいただきお庭に入らせていただきました。

 お庭には「とよひらふるさと再発見」の看板が立っています。
中の島1-14 Hさん宅庭 とよひらふるさと再発見の看板
 前述「とよひらふるさと再発見」ページでは、看板の設置は示されていません。おそらく個人敷地内であることを配慮したのでしょう。
 Hさんによると「12、3年前、水が湧かなくなった」そうです。ただ崖に近いところには名残の池があるとのことで、これまたお許しをいただき、さらに奥へ入らせていただきました。

 たしかに手前のほうは水が涸れています。
中の島1-14 Hさん宅庭 冷水の名残-1
 飲料用に供したであろう設備が残っていました。

 鬱蒼とした中を掻いくぐって崖下へ進むと、これまたたしかに、まだ水を張っています。
中の島1-14 Hさん宅庭 冷水の名残-2
 いわゆる崖線湧水の名残ですね。Hさんがおっしゃるようには湧かなくなったのでしょうが、今もある程度は浸み出て、涸れるには至ってないのかもしれません。
 7月29日ブログで記した豊平川の細分流は、崖線湧水と合わさってこのあたりを流れていたようです。豊平川氾濫原の“へり”ともいえるでしょうか。

 現在図で冷水の場所を確認します。
 まず標高図です(標高50m未満から2mごと60m以上まで7色段彩)。
 標高図 旧平岸村冷水
 崖下に赤い矢印を付けた先が本件「とよひらふさるさと再発見」冷水の位置です。矢印の先、「十四丁目」の「目」という字にかかってスポット的に低くなっています。湧泉池の痕跡かもしれません。

 次に、現在図と空中写真1948(昭和23)年の重ね合せです。
現在図×1948年空中写真 旧平岸村冷水 区界・町名界加筆
 冷水は同じく赤い矢印の先に当たります。
 空中写真から読み取れる細分流を水色の実線でなぞりました。併せて、豊平区と南区の区界をこげ茶色の実線で、また豊平区の平岸と同区中の島の境界を桃色の実線で加えました。

 この図を添えた理由は、以下の2点が窺えるからです。
 (1)ピラ=崖が連なる地形に合わせたかのように、豊平区平岸が南区の中へ食い込んでいること
 (2)崖線湧水を集めた豊平川の細分流に沿うかのように、豊平区中の島と同区平岸の町界(豊平区内の町名の境界)が分かたれていること

 当然と言えば当然ですが、自然地形が地名を分かつ要因になっていることを実感しました。なお、中の島1条14丁目と平岸1条23丁目は、精進川の放水路を境目としています。人工的な放水路が穿たれる前は、やはり細分流を字界としていたのかもしれません。
 さらに「なお」です。本件冷水が湧いたあたりは、元の地名(字名)は中の島ではなく、そのもの「冷水」でした。Hさんによると、「昔は『平岸2区冷水』という宛先で郵便が届いた」そうです。古い地形図を見ると…長くなったので、本日はこれまで。

2020/07/31

札幌でまた見かけたカマボコ

 先日、法務局南出張所へ行ったついでに中の島の冷水に寄り道したことは、7月29日ブログに記したとおりです。冷水の後、さらについでに寄り道しました。冷水の話が完結していないのに、というかそもそも法務局での用事にも立ち入っていないのに、毎度のことながら困ったものです(困っていないか)。

 冷水から精進川沿いに遡ったら、川越しに眼に入ったものがありました。
カマボコ 真駒内駐屯地 遠景
 真駒内駐屯地内の物件です。

 画像を拡大します。
カマボコ 真駒内駐屯地
 通称“カマボコ”こと、クォンセットハットです。

 見た感じ、かなり古びています。これは(これも)もしかしたら、米軍からの払下げまたは譲り受けではなかろうか。私は前に、「札幌に現存する唯一と思われるクォンセットハット」は八紘学園内のそれであると指しました(2018.9.19ブログ参照)。「真駒内の旧キャンプ・クロフォードにもなかったと思います」と記したこともあります(同4.19ブログ参照)。
 しかし前掲画像をあらためて観ると、その認識がかなり揺らぎました。真駒内駐屯地はいうまでもなく米軍直伝の場所です。本件カマボコの出自を確かめたい衝動に駆られています。

2020/07/29

平岸村の冷水

 まずテレビ番組のお知らせを一つ。
 UHB(8ch)「発見!タカトシランド」の次回放送で、西区八軒が取り上げられます。サッポロ珈琲館本店も出るそうです。建物の由来について珈琲館の社長に情報提供したところ、教えていただきました。オンエアは7月31日(金)午後7時~です。

https://www.uhb.jp/program/takatoshiland/

 本題は豊平区です。
 法務局の南出張所(豊平区平岸)に行ったついでにご近所を逍遥しました。
 「とよひらふるさと再発見」の説明付き案内地図(1992年発行、末注)を携行していたので見渡したところ、目と鼻の先に「平岸村の冷水」とあります。中の島通をはさんで向かい側で、直線距離にすると数十mです。しかし、隔絶感は大きい。

 色別標高図で観ると、隔絶を多少実感できます。
標高図 平岸村の冷水
 標高45m未満から5mごと70m以上まで7色段彩で作りました。白い矢印の先が法務局、赤い矢印の先がくだんの冷水の場所に当たります。少し北のほうに付けた赤いは精進川(オソウシ)の滝の位置です。
 法務局の標高が62m、冷水は52mで、比高は10mあります。60m~65mの黄色と50m~55mの水色の間の黄緑色が、ほとんどない。俯瞰すると、要するに札幌(豊平川)扇状地の古い面(平岸面)と新しい面(札幌面)の崖(ピラ)ではないか。
 
 ピラケシイのピラは精進川の滝くらいから始まると錯覚していました。古い地形図を見ると、オソウシ滝から西南西500mくらいから豊平川の分流が生じています。この分流でいわゆる中の島ができました。崖はこれで完結していると思い込んでいたのです。

 本件冷水は滝から南南西700m余り離れていますが、戦後の空中写真をよくよく見ると、さらに細い分流が冷水のあたりに通じていたようです。
空中写真1948年 精進川の滝 冷水
空中写真1961年 精進川の滝 冷水
 上が1948(昭和23)年、下が1961(昭和36)年です。読み取れる限りで、精進川を水色、豊平川の分流(「中の島」を作った“本来の”分流)を青色でなぞりました。赤いが精進川(オソウシ)の滝、黄色のが冷水の位置です。
 黄色のを付けたあたりには河畔林らしき影が写っています。豊平川の本流から別の細流が分かれ、やはり中洲を作っていたようです。北のほうで青くなぞった分流に合わさります。
 1961年写真では、青くなぞった豊平川の分流が消えかかって、滝より下流はほとんど“精進川化”しているかのようです。冷水付近を流れていた(とおぼしき)細流も途絶えたのかもしれません。ただ河畔林らしき影はなおも窺えます。
 結局、地形図(が整備されるようになった近代以降)には描かれない程度の細小分流だったとはいえ、標高差10mに及ぶ中の島通の崖を削るほどの大本流だった往時もあったのでしょう。あるいは、現在の流れが氾濫のつど削いでいったか。

 いやはや、肝心の現地の冷水になかなかたどりつけません。法務局のついでどころではなくなってしまいました。

 注:2016.3.5ブログ参照。現在印刷物では刊行されていないので(たぶん)、札幌市豊平区サイト参照→ https://www.city.sapporo.jp/toyohira/machi/info/furusato.html 

2020/07/26

小泉川の上流跡を遡る ②

 一昨日ブログでお伝えした場所は、小泉川跡とみられます。空中写真に照らして、流れていた二つの水路を画像に着色しました。
澄川4条1丁目6号線 東望 川跡着色
 右方(南側)の南区澄川4条2丁目から左方(北側)の澄川4条1丁目にかけてです。

 奥(東側)の青色と手前(西側)の水色でなぞった二つの想定流路のうち、小泉川はどうやら奥の青色のほうです。が、現地の地形が改変されている可能性も高く、自信がありません。裏付けを得たいと思った私はどうしたか。
 旧家とおぼしきお宅を訪ねました。と、さらっと記しますが、これが私にとって大難事であることはたびたび吐露してきたとおりです。見ず知らずのお宅でいきなりピンポンするのは、それだけで心拍数が上がります。「何と切り出したらよいだろうか」と逡巡します。何回繰り返しても「慣れる」とか「平気になる」ということがありません。
 
 とまれかくまれ、訪ねた先のMさん宅でお話を聴けました。Mさんは、曾祖父が明治時代中ごろこの地に入植したという4代目に当たるとのことです。
 私:(空中写真を見せて)昔このあたりに川が流れていたようですが、お心当たりはございませんでしょうか?
 Mさん:小川が流れてましたね。
 私:どのあたりを流れていたか、ご記憶はございますか?
 M:(お宅の前から指さして)その下ですね。昔はそこが崖になっていて…。崖の下を流れていました。
 私:川はいつぐらいまで、流れてましたか?
 Mさん:今もたしか、地下を流れているはずだけど。(地表を流れなくなったのは)小学6年か中学に入った頃かな…。
 私:(Mさんのお年から差し引きすると)というと、今から50年近く前ですね。1970年頃ですか。川は何と呼ばれていましたか? 郷土史の本には小泉川と書かれていたりするのですが…。
 Mさん:いやあ、名前は特になかったと思うなあ。(自分が)子どもだったので、覚えてなかったのかもしれないが。

 Mさんが示してくれた川は、やはりというべきか前掲画像でいうと青色でなぞったほうでした。川名はさだかでありませんでしたが、いわゆる小泉川と同定していいでしょう。お話から小泉川をあとづけると、下掲画像に矢印を付けた先になります。
澄川4条1丁目7号線 崖下 小泉川跡着色
 右方(東側)に写るのは澄川4条1丁目7号線という市道です。左方(西側)の駐車場との間の高低差が、奥(北)へ進むにつれて大きくなります。Mさんがおっしゃる「崖」です。

 撮影箇所を標高図に示します。
色別標高図 澄川4条1丁目7号線 小泉川跡着色
 段彩と赤い矢印は一昨日ブログ掲載と同じです。
 前掲画像は矢印↑0の地点・向きに当たります。

 撮影地点1
澄川4条1丁目7号線から崖下を西望
 澄川4条1丁目7号線を北上して、矢印←1の地点で西方を望みました。前掲標高図の段彩(色分け)で明らかなように、高低差がかなり大きくなります。今でも崖です。この崖のすぐ下を小泉川が流れていました。

 崖下から眺めると、擁壁がそそり立っています。
澄川4条1丁目 窪地-5
 7月17日ブログに記した窪地です。

 撮影地点2
澄川4条1丁目7号線 北望
 澄川4条1丁目7号線を「北上」と前述しましたが、みはるかすと市道は下り坂です。右方(東側)は平岸高台(町名は澄川)すなわち支笏火砕流台地ですが、市道より左方(西側)は札幌扇状地平岸面なので北へ向かって下ります。
 
 Mさん宅は高台側に位置し、リンゴと稲作をしていたそうです。1948(昭和23)年空中写真(7月23日ブログ参照)を観ると、高台側にはリンゴ畑、小泉川の下は水田が写っています。営農は1972(昭和47)年の札幌五輪の頃までで、「地下鉄が通って、このあたりが宅地化された」とのことです。小泉川が埋められたのも同時期らしい。
 最初に当たりを付けた「旧家とおぼしきお宅」がそのとおりだったのは僥倖です。初打席でいきなりヒットを打ったような気分です。この後に訪ねた図書館で手にした郷土史の本には、古くからのお宅の位置も記されています。予習をしたほうが当然効率は良いし得られるものも大きいのですが、自分の直感を研ぎすましてぶっつけ本番というのも悪くはありません。

2020/07/25

北海道百年記念塔の内部視察報告会

 札幌ノスタルジック建築散歩」のYさんのお誘いを受けて、参加しました。
北海道百年記念塔内部調査報告会
 「記念塔の未来を考える会」と「記念塔を守る会」との共催による報告会です。会場は、2018年に札幌建築鑑賞会で記念塔をめぐる講演会(2018.10.9同11.3ブログ参照)を催したときと同じ小野幌会館でした。感染症防止のため定員が少なめに設定され、座席もご覧のように間隔を開けての配置です。2年前に当会でここを借りたときのように部屋を満杯にするというのは、昨今の事情ではもう無理なのでしょうか。

 視察結果の報告(建築家・山之内裕一さん)と建築史上の意義(建築史家・駒木定正さん)をお聴きしました。「内部視察」は本年6月、「考える会」の建築家十数名が北海道の許可を受けて実施したものです。興味深い内容でしたので、概要を以下、記します(あくまでも私が聞き取った限りです)。
(1)建築家が内部を視察したのは初めてである。
(2)記念塔は「塔体」と「外板」で構成され、塔体(いわば骨組み)は健全である。
(3)外板のコルテン鋼が錆びているのは、劣化ではなく「熟成」である。
(4)2018年に落下した10㎏の部材はコルテン鋼ではなく、後付けと思われるステンレス材(水切板)だった。
(5)落下物は適切な維持管理があれば防止できた可能性がある。
(6)記念塔を保存するための費用を道は約29億円(内部立入り可能な場合)としているが、うち21億円は大規模修繕を想定している。大規模修繕によらずとも、年次的なメンテナンスで可能ではないか。とすると、経費は低く抑えられる。

 上記(4)を補足すると、当初設計のコルテン鋼は溶接ですが、落下したステンレス材はビス留めされていたものだそうです。コルテン鋼ならでの特性ともいえる経年的な錆びによる剥落とは異なります。これは視察に同行した道の担当者も認識してなかったとのことです。山之内さんは、コルテン鋼の錆び進行=腐蝕・劣化・老朽化=部材の落下と短絡されたきらいがあると危惧していました。
 
 お話を聞いてあらためて感じたのは、事実に基づく検証の必要性・重要性です。加えて、このたびの視察のような作業は2年前の段階で施されてしかるべきだったとも思います(末注)。すでに「解体」のレールが敷かれている感は強いのですが、とはいえ新たな知見による検証はそのつど欠かせないでしょう。「保存」「解体」という結果もさることながら、結果に至る過程を大切にしたいものです。

 注:2018年12月に北海道が公表した「ほっかいどう歴史・文化・自然『体感』交流空間構想」では「安全性の検討」として、「部材の腐食等による不測の落下事故を完全に防ぐことは、物理的にも不可能に近い」「上部の鉄板が落ちるようなことがあれば、安全とはいえないのではないか」「錆片など飛散物もある」「錆片の落下が確認される」などと指摘している(資料編p.41)。ただしステンレス材の落下は同年10月の台風によるもので、「立入禁止エリア内に部材の落下があった」と記されているだけで、詳細な分析は無い。また「錆片の落下」は内部の写真が載っているが、外部にどの程度「落下」または「飛散」しているか、データは添えられていない。本年6月には「百年記念塔 進む老朽化 10キロの建材落下、さび片積もる内部」と報じられた(北海道新聞6月21日)。

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keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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