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札幌時空逍遥

札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。 胆振東部地震お見舞い

2019/04/24

なぜ、豊平川左岸に「石山」の地名が遺るか? ②

 昨日ブログで、豊平川左岸に遺る「硬石山」と「石山」の町界線がかつての主流(の旧河道)に由来することを記しました。
 この境目がいつから分かたれたか、古地図で遡ってみます。

 4月18日ブログに載せた「石山石材運搬軌道」の図面です。
石山石材運搬軌道布設個所附近一般図 藻岩村、豊平町
 赤と橙色の傍線を引いた箇所に注目します。

 その部分を拡大すると…
石山石材運搬軌道布設個所附近一般図 藻岩村、豊平町 拡大
 赤い線のところは「藻岩村字八垂別」、橙色は「豊平町字石山」です。

 この図面が描かれたのは1928(昭和3)年から1938(昭和13)年の間とみられます(2015.6.15ブログ参照)。当時、豊平川をはさんで左岸すなわち硬石山側は藻岩村、右岸すなわち札幌軟石の産地たる石山は豊平町でした。では、その境界線はどこに引かれていたでしょうか。町村名(+字名)はそれぞれの岸辺に書かれていますが、はっきりした境目は読み取れません。間の豊平川は流路が細かく分かれ、中洲をいくつか作っています。氾濫原だったのでしょう。
 
 境界線(町村界)は、前掲図面と一緒に所蔵されていた別の図面で確かめられました。
石山石材運搬軌道平面図 藻岩村 豊平町
 「石山石材運搬軌道平面図」と標記された図面です。赤と橙色の矢印を付けた先に町村名が書かれています。

 その部分を拡大すると…
石山石材運搬軌道平面図 藻岩村、豊平町の境界 拡大
 赤い矢印の先は「藻岩村」、橙色のほうは「豊平町」です。その間に一点鎖線が引かれて、町村界が分かたれています。境目とされたのは、豊平川の細かく分かれた流路のもっとも北側、すなわち硬石山寄りです。これがやはり、当時の豊平川の主流と窺えます。

 結論的にいうと、現在の「硬石山」と「石山(番地)」の境目は、この(=藻岩村と豊平町の)町村界の名残、と私はみました。その経緯を追います。

 冒頭の図面に当時の町村界線を加筆しました。
石山石材運搬軌道布設個所附近一般図 藻岩村、豊平町 境界線加筆
 青の実線です。これは、南側の中洲が豊平町字石山に属していたことを意味します。
 
 昨日ブログに載せた現在図を再掲し、較べてみましょう。 
現在図 硬石山、石山 町界
 昨日述べたように、豊平川の主流は1960年代後半、現在の位置すなわち南側の石山寄りに移りました。

 現在の主流を前掲図に引き写します。 
石山石材運搬軌道布設個所附近一般図 藻岩村、豊平町境界 現在の主流加筆
 水色でおおまかになぞりました。こちらが主流になるにつれて、青い実線を引いた旧町村界のほうは流路が途絶えます。結果として、その南側すなわち豊平町字石山に属していた中州は、一部が旧藻岩村の硬石山と地続きになりました。

 にもかかわらず、です。
 旧藻岩村側の字名は付けられず、旧豊平町側の字名「石山」が遺りました。今の「石山(番地)」はその名残といえましょう。なぜ、遺ったか? 答えにはまだ、達していません。
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2019/04/23

なぜ、豊平川左岸に「石山」の地名が遺るか? ①

 昨日ブログの続きです。
標題に記したように、「石山」という地名は豊平川の左岸に「遺」っています。その理由は、現在図と古い空中写真または地図を見較べることで解き明かされます。

 まず現在図をあらためて見ます。
現在図 硬石山、石山 町界
 赤い実線で加筆した町界については、昨日ブログで記したとおりです。

 同じエリアの1961(昭和36)年撮影空中写真です。
空中写真1961年 豊平川 石山周辺
 この二つを見較べます。

 前掲2画像を重ねてみると…
豊平川 石山周辺 現在図と1961年空撮レイヤー
 現在図で豊平川左岸の陸地になっているところを、1961年当時は川が流れているのがわかります。現在川が流れているところは中洲または細い流路です。現在左岸の陸地になっているところの流れのほうが大きい。こちらがかつての主流だったようです。主流は今よりも北側すなわち硬石山側でした。

 これに硬石山と石山の町界線を加筆すると…
豊平川 石山周辺現在図と空中写真1961年のレイヤー 町界線
 豊平川のかつての主流側に沿って、硬石山と石山の境目が分かたれているといえます。この境目は自然地形の名残であり、土地の記憶だったわけです(末注)。

 空中写真や地形図を時系列で下ると、豊平川のこのあたりは1960年代後半には現在の流れに変わっていきます。しかし、町名(字名)の境目はその後も遺りました。なぜか?
 変える積極的理由というか必要性がなかった、といってしまえばそれまでですが、もう少し掘り下げてみます。

 注:かつての豊平川の主流が今よりも北側だったことは、地形図からも裏付けられる(「今昔マップ」1935年地図と現在の比較参照)。

2019/04/22

豊平川左岸にも「石山」(承前)

 昨日ブログの続きです。
 豊平川の左岸に現在、「石山」という町名は存在しているのか。
 結論的にいうと、存在しています。昨日ブログに載せたうちの「札幌市町名・住居表示実施区域図」2014年及び昭文社『でっか字まっぷ 札幌小樽』2016年が正しかったのです。市役所で確認しました。
 これがどういうことなのか、説明します。

 まず、現地の風景です。
石山大橋から豊平川上流を眺める
 豊平川に架かる石山大橋から上流を眺めました。画像右方が左岸で、硬石山の稜線です。左方が右岸で、彼方に藤野の山々が遠望できます。
 
 次に、現在図です。
現在図 地理院地図  石山大橋周辺
 画像の撮影位置と向きをを赤い矢印で加筆しました。

 ほぼ同じ一帯を、札幌市の地図情報サービスで認定道路図と照らします。
札幌市地図情報 認定道路 石山大橋周辺
 紺色ので示されているのが認定道路(市道)です。この図面を用いた理由は後述します。
 
 これに赤の太実線で町界を加筆しました。①~④が町名です。
 ①:石山(条丁目)
 ②:川沿(条丁目)、川沿町(番地)
 ③:硬石山
 ④:石山(番地)
 
 わかりやすくするため、豊平川の水面を水色でなぞりました。④の「石山(番地)」は、昨日ブログで記したように豊平川の河川敷地に当たります。昨日ブログにぶらじょにさんがコメントしてくださったとおり、「中洲等に境界線があるのではなくしっかり左岸に石山が掛かって」いるのです。前掲図のちょうど④と記したあたり、かなり内陸部にふくらんで「石山(番地)」が入り込んでいます。
 本日ブログの冒頭で「『札幌市町名・住居表示実施区域図』2014年及び昭文社『でっか字まっぷ 札幌小樽』2016年が正しかったのです」と記しましたが、この二つを仔細に較べてみると、どちらも「石山(番地)」が内陸部にかかっているのですが、微妙に町界線の引かれ方が異なります。札幌市で確かめた最新の地番図に照らすと、どうも昭文社のほうが正しいようです。私が前掲認定道路図に加筆した町界線も、アバウトながら地番図に基づきました。

 左岸(北側)の内陸側に食い込んでいる部分を拡大します。
札幌市地図情報 認定道路図 硬石山と石山(番地)
 ③硬石山と④石山(番地)は、市道が境目になっているようです。黄色の矢印で示した先に紺色の市道が通じており、これに沿って硬石山と石山(番地)が分かたれていると私は見ました。認定道路図を用いた理由はここにあります。ちなみに、この市道の路線名はと調べてみると、「石山線」と出ました。ここにも「石山」が出てくるのです。

 では、なぜ、豊平川左岸に「石山(番地)」が入り込んでいるのか? 言い換えれば、豊平川河畔まで完全に「硬石山」という町名になっていないのは、なぜか?
 私は当初、「硬石山」もおおまかには「石山」の一部だからと想ったのですが、それが理由ではないのですね。あえて、「硬石山」と「石山」の境目が、厳然と存在する。

 拙ブログでここ数日綴ってきた「硬石山 石材運搬軌道 再考」をご覧いただいた方の中にはすでにお察しかとも思いますが、稿を改めて解くこととします。
 

2019/04/21

豊平川左岸にも「石山」

 このたび南区硬石山のH産業を訊ねた際(4月18日ブログ参照)、手元の地図を眺めながら気づいたことがあります。
 
 私がふだん持ち歩いている携帯用地図帳です(昭文社『でっか字マップ 札幌小樽』2016年、p.91から)。
昭文社でっか字まっぷ 南区硬石山周辺
 赤い矢印を加筆した先に「石山」とあります。問題はその位置です。豊平川の左岸、硬石山側(画像の上方)に書かれています。単に表記上の処理ではありません。「石山」と書かれた北側(山側)に一点鎖線が引かれています。凡例によると、これは「町・大字界」です。つまり、「石山」という町名が豊平川の左岸側にもあることを示しています。
 
 私は現在、「石山」という町名は豊平川の右岸にしかないと私は思い込んでいました。右岸すなわち札幌軟石の産地が「石山」で、左岸すなわち札幌硬石の産地は「硬石山(末注)であるという理解です。明治の開拓期における呼称は縷々変遷があるのですが、ひとまず措きます。
 はじめは「ああ、左岸にも『石山』が遺っているんだなあ」くらいに漠然と思っていたのですが、別の地図も併せ見て「あれ?」と引っかかりました。

 札幌市南区役所発行の「みなみ区ガイド」2008年に載っている地図です。
札幌市南区ガイド2008年 硬石山周辺
 町界線の引かれ方が、どうも違います。

 当該部分を拡大します。
札幌市南区ガイド2008年 硬石山周辺 拡大
 町界線はやはり一点鎖線ですが、豊平川上のしかも右岸よりに引かれているのです。この地図だと、川を境にして左岸は硬石山、右岸は石山になります。

 冒頭に載せた昭文社の地図帳が2016年発行で、後者の「みなみ区ガイド」は2008年です。前者のほうが新しい。ということは、最近になって左岸側の一部が「石山」に町名変更されたのか。いや、それは極めて考えづらい。逆の場合はありうると思います。つまり、もともと「石山」という町名(字名)が左岸にもあったが、「硬石山」に変更された。そう考える理由は後述しますが、しかしそれだと前掲地図二者の発行年の時系列と齟齬をきたします。

 別の地図も引っ張り出して較べてみました。
ゼンリン住宅地図 2002年 硬石山周辺
 『ゼンリン住宅地図2002 札幌市南区』です(p.108)。
 一点鎖線が「大字・丁目界」で、やはり豊平川をもって分かたれています。左岸(北側)が硬石山、右岸(南側)は石山です。別のページも含めて、左岸側に「石山」はありません。

 このほかに見た地図も含め、時系列の古い順で並べ、左岸側がどうなっているか整理します。
①『ゼンリン住宅地図2002 札幌市南区』2001年(書名には「2002」とあるが、発行は2001年):左岸側に「石山」なし
②昭文社『ライトマップル 札幌小樽道路地図』』2002年、p.27:左岸側に「石山」あり
③「みなみ区ガイド」2008年 左岸側に「石山」なし
④「みなみ区ガイド&MAP」2013年:左岸側に「石山」なし
⑤昭文社『でっか字まっぷ 札幌小樽』2016年 左岸側に「石山」あり
⑥「みなみ区ガイド&MAP」2013年:左岸側に「石山」なし
(本日ブログで地図を載せたのは、①③⑤)

 手元にある中では、左岸側に「石山」の町名を載せているのは昭文社発行のものだけです。私は同社に大変失礼ながら、少なくとも⑤の2016年発行の地図は間違いではないかと思いました。この中でもっとも古い①ゼンリン地図が左岸側にないのと、何よりも行政機関である南区役所の刊行物において、昭文社の⑤よりも古い③④で「石山」を右岸側のみとしているからです。しかし、ほどなくこれは同社に濡れ衣を着せたと反省しました。
 
 同じ札幌市が発行する「札幌市町名・住居表示実施区域図」2014年です。
札幌市町名・住居表示実施区域図」2014年 硬石山周辺
 これは札幌市における町界に関してもっとも信頼すべき資料だと思います。

 くだんの箇所を拡大します。
札幌市町名・住居表示実施区域図」2014年 硬石山周辺 拡大
 町界線は紺色の太い実線です。赤い矢印で加筆した先に「石山(番地)」と書かれています。
 これを見ると、豊平川の河川敷地が「石山(番地)」です。左岸側にも一部かかっています。前掲「みなみ区ガイド」2008年では「硬石山」に含まれている一帯にも、「石山」があるのです。

 面白くなってきました。前にもこういうことがあったなあ(2014.12.24ブログ参照)。かような事象に遭遇するとワクワクゾクゾクする変態的嗜癖が私にはあります。

 注:町名としての読みは「かたいしやま」。2015.6.18ブログ札幌市サイト「現町名一覧-南区」ページ参照

2019/04/20

硬石山 石材運搬軌道 再考③

 札幌硬石は戦中、硬石山から豊平川を跨いで対岸の石山(定山渓鉄道石切山駅)まで、軌道で運ばれていました。
 その軌道は戦後発行の地形図にも描かれています。
1950年地形図 石山軌道周辺 再掲
 1950(昭和25)年の1/25,000「石山」です。
 
 私は2015年6月16日ブログでこの地図を載せ、ここに描かれた鉄路が「石材運搬軌道」の設計図面と「一致します」と記しました。このたび「再考」するに当たり、これを「ほぼ、一致します」と修正します。理由は以下の二つです。
・第一:軌道の“曲がり具合”が、地形図と設計図面とでは異なる。
・第二:地形図では軌道が石切山駅に直結しているが、設計図では直結はしていない。

 第一の理由は、下掲の空中写真も見て、設計図面と較べてみます。
空中写真 1948年米軍 石山軌道周辺
 赤い線でなぞったのが硬石山からの石材運搬軌道、黄色の△の先が定鉄石切山駅の位置です。
 
 石材運搬軌道の設計図面(4月18日ブログ参照)をもう一度、見ます。
石山石材運搬軌道布設個所附近一般図 始点 終点
 空中写真では軌道がなだらかに弯曲しているのに対し、設計図面では直線的です。豊平川右岸(石山側)に渡ったところで屈曲しています。この屈曲だと、転車台でも設けない限り車両が通るのは難しいのではなかろうか。
 硬石山の麓に生まれ育ちのH産業のAさん(4月18日ブログ参照)は先日、「軌道は豊平川の中洲に橋を利用して通したが、(川の流路とともに)中洲はそのときどきカタチが変わる。実際に敷設の工事をしたとき、現場の状況を見て変えたと思う」と語ってくれました。
 
 第二の理由は上掲の設計図で軌道の「終点」(黄色の○で囲ったところ)が定鉄の鉄路と接続していないことから察せられます。ただし、これは設計図です。軌道の“曲がり具合”同様、実際の敷設に当たって直結させた可能性も捨てきれません。
 しかし、久保ヒデキ『定山渓鉄道』2018年では、設計図面を転載して次のように説明しています(太字、p.104)。
 「断面図上から読み取れる軌間のサイズが「3.0」(=フィート表記であれば約900㎜?)であることから、定山渓鉄道線に直接乗り入れられない(定山渓鉄道線は3.5=1067㎜)専用軌道であったことだけはわかります。地形図に示された鉄道記号は定山渓鉄道の引き込み線の延長であると考えていたのは、実は単なる思い込みだったわけです」。

 …と、本日ブログで私が綴ってきた石材運搬軌道の設計図面と地形図(あるいは実際に敷かれた鉄路)との違いは、実は札幌市公文書館の指摘に基づきます。前掲書には記されていませんが、図面の現在の所蔵先は同館です。同館は3年前、元所有者から図面の寄贈を受けた後、解説を付して公開しました(末注)。以来遅まきながら拙ブログの記述を補正するしだいです。

 ところで、前掲『定山渓鉄道』には次のようにも書かれています(太字、同上)。
 果たしてこの石山軌道の上を、どのような形のトロッコが走っていたのでしょうか? 動力車はあったのでしょうか? それとも人力で? 想像は尽きませんが、千歳飛行場の滑走路へと運ばれる大量の粉砕された硬石が、次々と石切山停車場の引き込み線へと運ばれていたのでしょう。

 軌道の動力についての私の推理は、硬石山麓の古老から聞き取った“証言”(2015.6.22ブログ参照)及び設計図に基づき、昨日ブログに記したとおりです。

 注:設計図面が見つかった経緯は拙ブログ2015.6.15同6.16、市公文書館が所蔵するに至った経緯は拙ブログ2016.2.24末注参照

2019/04/19

硬石山 石材運搬軌道 再考②

 昨日ブログの続きです。
 「石山石材運搬軌道」の図面をつぶさに見ます。
石山石材運搬軌道布設個所附近一般図 始点 終点
 着色加筆の凡例は以下のとおりです。
 赤い矢印:硬石採集所
 黄色の矢印:定山渓鉄道石切山駅
 赤い傍線:石材運搬軌道
 赤い○:始点
 黄色の○:終点
 橙色の傍線:積込線

 豊平川左岸の「硬石採集所」のあたりを拡大します。
石山石材運搬軌道布設個所附近一般図  硬石採集所 拡大
 「石材運搬軌道」の「終点」は、豊平川に架けられた軌道橋を渡ったすぐのところです。その終点から山側に「積込線」が描かれています。積込線は、軌道の「始点」から「終点」までとは別のような書(描)かれ方です。

 硬石の採石場の古写真も拡大して、あらためて見ます。
藻岩南小学校 郷土資料室 展示写真 拡大
 同日ブログにも記したように、ここに写っているのはトロッコのレールのようです。

 昨日お伝えしたH産業のAさんは、前掲図面に描かれた軌道について「もしかしたら(古写真に)写っているレールかもしれない」とおっしゃいました。Aさんは硬石山の麓に生まれ育ちの方で、古写真の位置も現在に同定できます。
 
 2015年6月22日ブログで私は、この軌道が遺っていた当時をご記憶の方への聞取りを記しました。硬石は「小さな汽車」によって対岸の定鉄石切山駅まで運ばれていたそうです。小さいながらも「汽車」(蒸気機関車?)を使っていたとなると、古写真に写るレールではないと思えます。後者は前述のとおり、より簡便なトロッコ用に見えるからです。

 私は、前掲図面の「積込線」(橙色の傍線)が古写真に写っているのではないかと推理しました。「始点」「終点」で区切られた軌道は汽車が通じ、「積込線」は別のトロッコだったかと。

 参考までに、軌道の豊平川に架かる橋梁部分の設計図も紹介します。
石山石材運搬軌道 第二号第三号橋梁設計図
 川の中洲に架かる「第二号」「第三号」の橋です。

2019/04/18

硬石山 石材運搬軌道 再考①

 硬石山です。
硬石山 石山まちづくりセンター(新)から
 豊平川対岸の石山、新築されたまちづくりセンターの前から眺めました。

 硬石山では文字どおり「札幌硬石」が産出されています。2社ある採石場の一つであるH産業さんに伺ってきました。本年2月~3月に開催された「札幌軟石と北の石文化」展(2月19日ブログ参照)に硬石の関係でご協力いただいたお礼です。「札幌軟石文化を語る会」のSさんに同行させていただきました。
 H産業のAさんは、祖父の代からここで硬石の採掘に従事しておられます。お話をお訊きし、札幌硬石について理解を深めることができました。これまでも拙ブログで少なからず綴ってきたうちの関係するおもな記述を以下、掲げます。
 2015.6.15ブログ「石山石材運搬軌道」
 同6.16ブログ「石山石材運搬軌道(承前)」
 同6.22ブログ「硬石山④」
 硬石山から豊平川の対岸へ硬石を運んだ「石山石材運搬軌道」のことを記しました。

 軌道の計画図面を再掲します。
石山石材運搬軌道 図面 中心部分
 水色の傍線を引いたところです。

 古写真も再掲します。
藻岩南小学校 郷土資料室 展示写真 
 「斜面に、何本かトロッコのレールが写っています。もしかしたら、この一本が石材運搬軌道かもしれない」と私は記しました。

 この写真をAさんと見ながら、あらためて場所を推理しました。

2019/04/17

小樽の敵を白石で討つ

 本日も、またまたお知らせから。
 「LIFULL HOME'S PRESS」(ライフルホームズプレス)という住宅関係の情報を発信するサイトで、札幌軟石について紹介されました。

https://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_00809/

 雪が融けて散策日和になってきたせいか、ここのところテレビ、新聞、雑誌、ネットと、さまざまな媒体を介して時空逍遥の世界が拡散されつつあります。私が世の中に追いついたのか、世の中が私に近づいたのか。
 
 とまれ、かような引き合いがあると、新たな出逢いも生まれます。また、これがモチベーションになって新たな逍遥の世界が開けます。ここでまた、“余話”です。
 前述のサイトの冒頭に、小樽運河の風景が画像として載っています。運河沿いの石造りの倉庫を見せるためです。校正のとき、ライターさんから「この倉庫は、札幌軟石か?」尋ねられました。もしそうでなかったら、札幌軟石をテーマにした本文との整合性を欠くことになるからです。
 そういわれてみれば、しかと認識したことはありませんでした。私の記憶に残る印象では、近くの倉庫(を再利用した「運河プラザ」など)と同様に札幌軟石です。しかし、絶対的な自信があるかというと、揺らぎます。そこで、3月に小樽に行ったとき(4月3日ブログ参照)、念のため現地を確かめました。

 現地というのは、こちらです。
小樽 港町 篠田倉庫
 運河越しに眺めた後、向こう岸に渡って埋立地側からも確かめて、札幌軟石と確信しました。

 もう一つ、副産物を得ました。
小樽 港町 澁澤倉庫 りうご
 お気づきの方も多いと思いますが、黄色の矢印の先です。

 「りうご」の印です(4月11日ブログ参照)。
小樽 港町 澁澤倉庫 りうご 拡大
 正直に申しまして、3月にこの画像を撮ったとき、私にはこの印が見えてませんでした。その証拠に、というのも変ですが、4月11日ブログで私は、この印を「小樽で探し出せなかった」と記しています。視野に収めていながら、「探し出せなかった」。前述した「副産物」というのは、自分の目が節穴だったことの自覚です。

 本件「りうご」印が私の目に見えたのは、下記サイト4月11日ブログを教えていただいたことによります。

https://otarusanpo.exblog.jp/27548416/
 4月10日拙ブログに寄せられた拍手コメントに、このブログのことが書かれていました。ありがとうございます。

 4月11日ブログに載せた札幌市白石区の倉庫について、別の方からもコメントをいただきました。倉庫の前の通りを「死ぬほど」通っているのに、この印を付けた「澁澤の名前を冠した会社があるのも知りませんでした」と。前述したとおり、ところ変われば私も同様です。 

 もう一度、白石に足を運びました。 
白石区中央 渋沢1号
 4月11日ブログに載せた倉庫とは別件です。場所も少し離れています。出入口の柱(左方)に白い表札が架かっているのが見えるでしょうか。

 「渋沢1号」と書かれています。
白石区中央 渋沢1号 表札
 少しかすれ気味なのが、私好みです。

 この「渋沢1号」を前に、創業者の肖像を記念に撮りました。
渋沢1号を前に、創業者の肖像
 本件倉庫は、この小さな表札以外に名称等の表示がまったく見当たりません。小樽が「りうご」印をこれでもかとばかり発信するなら、当方はこちらで対抗します(ムキになって、どうする)(末注)。

 本件「渋沢1号」が渋沢栄一につながるのか、念のため以下の画像も載せておきます。
白石区中央 渋沢1号の前に停まる「りうご」印のクルマ
 倉庫の裏手(どちらが表か裏かも分からないのですが)に廻ったら、クルマが停まっていました。

 車体に「りうご」印が描かれています。
白石区中央 渋沢1号の前に停まる「りうご」印のクルマ 拡大
 このクルマがなかったら、本件が何年か後に発行されるであろう新紙幣ゆかりの建物だとは気づきがたい。自己満足に浸る私です。

 注:小樽のブログでは、北海道新聞の新紙幣関連記事の初報で「小樽の渋澤倉庫は完全にスルー」されたことを指摘し、4月11日小樽後志版紙面では同市内の渋沢栄一関連建物は4棟と報じた(同紙札幌圏版ほかでは4月17日朝刊「地域ダイジェスト」に掲載)のを、現存するのは5棟と正している。気持ち、わかります。ただ私は、マスコミはサッポロビールや北ガスを渋沢ゆかりに挙げるのでいいとも思う。もし道新で「渋沢1号」が取り上げられたら、拙ブログの立つ瀬がないので。

2019/04/16

「戸惑う学校」の記事に戸惑う私

 本日もまた、お知らせから。
 札幌の月刊誌『O.tone』の今月号(Vol.126)が発行されました。
O.tone126号 表紙O.tone126号 特集中扉
 「ディープな札幌街歩き」が特集されています。

 その中の「街路のずれ」というページで札幌の街を紹介しました。私が関わったその部分はともかく、ほかに「碑・像」「自然」「建物」など興味深いあれこれが載っています。どうぞご覧ください。定価680円、市内の書店、コンビニなどで発売中です。

 例によってその“余話”もお伝えしたいのですが…。先に本日の北海道新聞朝刊札幌圏版の記事のことから。
道新2019.4.16札幌圏版記事 「百年記念塔解体 戸惑う学校」
 「百年記念塔解体 戸惑う学校」です(電子版にも本日付で一部掲載)。

 北海道百年記念塔の解体に伴い、校歌や校章に採り入れられている学校の反応が報じられています。校歌や校章を残すか変えるか「教育関係者も二分」という見出しです。本文で私のコメントも以下のとおり記されています(太字)。
 アイヌ民族の歴史に配慮せずに建設されたことを受け入れ、教訓にするためにも残すことに意味がある」と別の観点から「変えるべきではない」と考える。

 二点ほど補足させてください。
 第一。「アイヌ民族の歴史に配慮せずに建設されたことを受け入れ」の「受け入れ」は、私の真意としては「受け止め」です。「受け入れ」というと、「アイヌ民族の歴史に配慮せずに建設されたこと」自体を是認・肯定するかのごとく解されるおそれがあります。
 第二。「変えるべきではない」は、私には校歌・校章を「何が何でも残すべきだ」のような語感がします。私自身の心情・信条では「残した方がいい」のほうが近い。「変えるべきだ」を10、「残すべきだ」を0とすると、私の数値は3くらいです。
 
 次は記事に対する感想です。
 前述の「教育関係者も二分」という見出しについて。
 私は昨年、記念塔が校歌・校章に用いられている学校(の校長または教頭先生)にお尋ねしました。「記念塔の行方に関わり、校歌・校章について校内で話題になっているか?」です(2018.11.30ブログ参照)。まだ解体が“正式決定”される前だったということもあるかもしれませんが、おおかたは「記念塔のことが報じられているのは承知しているが、そのことで校歌・校章を話題にしていることはない」とのお答えでした。
 応対してくださった先生方の個人的ご意見としては「解体されたからといって、校歌・校章を変えるべきだとは思わない」がほとんどだったと記憶しています。そのことはこの記事の取材を受けたときに記者の方にもお伝えしたのですが、見出しでは前述のとおりとなりました。おそらくその後の独自取材の結果が反映しているのでしょう。あるいは、この見出しが訴求力があると整理部が判断されたのかもしれません。ただ、自分がそうだから言う訳ではありませんが、「二分」といっても教育関係者の心情・信条は前述の0か10かではなく、さまざまな連続帯ではないかと私は察します。文字どおり二分法的にラべリングするのは、少しく疑問を抱きました。
 まあ、仮に「二分」されても、いいとも思います。いうまでもなく、それぞれの学校で熟議して決めればよいことです。同じ方向性を定めるべきテーマでもありません。

2019/04/15

北大に遺る競馬場の地形

 本日もまず、お知らせを一つ。
 明日16日(火)の北海道新聞朝刊(札幌圏版)に、北海道百年記念塔にちなむ話題記事が載る予定です。

 さて、15日夕刻放送されたuhb(8ch)「みんテレ」の「となりのレトロ」コーナー、“余話”(+コトバ足らずの補足)は拙ブログでおいおいお伝えします。
 ①なぜ、競馬場が(今の)クラーク像前に設けられたか?
 ②沢田商店が北大から預かったモノ
 ③時空逍遥の原風景

 全部消化しないうちにまた次の収録・放送が来て“積み残し”そうですが、お許しください。

 ①なぜ、競馬場が(今の)クラーク像前に設けられたか?
 2016.7.31ブログでの謎かけの答えになります。

 番組でもお見せした開拓使育種場の地図です。
開拓使 育種場地図
 (「明治15年5月 引継書類 勧業課」道立文書館蔵から)
 
 この地に育種場の前身となる「札幌官園」が設けられたのは、1871(明治4)年から1874(明治7)年にかけてのことです(末注①)。その後、敷地の東半分くらいが札幌農学校の「農黌園」となります。前掲の地図は西半分で、官園から育種場に改称された後のものです。競馬場の楕円コースが描かれています。造られたのは1877(明治10)~78(明治11)年です(末注②)。

 このあたりの現在の標高図を観ます(国土地理院サイトから作成)。
標高図 北大 クラーク像周辺
 図中「北海道大(農)」と書かれたところの「大」と「(農)」の間に記されている記念碑記号がクラーク像の位置です。そのすぐ東側は青く塗られています。つまり標高の低い地帯で、サクシュ琴似川が削ったくぼ地(一種のコッネイ→コトニ→琴似)です。これは現在の標高図ですが、原風景に近いのではないかと私は想います。

 冒頭画像の明治初期の育種場地図を再掲します。
開拓使 育種場地図 着色加筆
 川を水色で着色加筆しました。東側(画像上、右方)を流れるのがサクシュ琴似川です。西側(画像上、左方)の二本の流れはコトニ本流ですが、今は姿を消しています(末注③)。サクシュ琴似川は、流路が今もあまり変わっていません。

 前掲標高図と照らして、クラーク像の位置を黄色の△の先に示しました。その部分を拡大します。
開拓使 育種場地図 着色加筆 競馬場周辺
 このあたりに、/////////というケバ線が描かれています。いわば高低差です。

 その現在の風景です。中央ローンと呼ばれています。
北大 サクシュ琴似川 クラーク像
 この画像はおおむね前掲の育種場図に加筆した黄色の△の位置と向きで撮りました。赤い矢印の先がクラーク像です。
 クラーク像から左方へ、生垣が植えられています。生垣に沿って、少し小高くなっているのがおわかりいただけるでしょうか。この生垣が、前掲育種場のケバ線とほぼ見合います。つまり、明治の初めに描かれた高低差が、今も生垣に沿って遺っているのです。

 ここで、競馬場の位置を現在の標高図に想定します。
標高図 北大 開拓使競馬場想定位置
 白ヌキの△が前掲中央ローンの撮影位置と向き、□はクラーク会館です。競馬場の想定位置を楕円で示しました。

 結論的にいうと、開拓使の競馬場はサクシュ琴似川とコトニ本流の間の微高地に設けられたのではないでしょうか。コースの整備のために盛り土されたという可能性もありますが、比較的均平で地盤の良さそうなところが選ばれたように見えます。

 クラーク会館から、北を眺めました。
北大 クラーク会館から北望 競馬場の高低差
 右方、シラカバの根元に連なるの生垣を、微高地側から見ています。真ん中に通るのは、北大の背骨ともいえる「メインストリート」(中央道路)です。競馬場はこの左方奥にあったと想います。
 
 お伝えしたかったのは、明治の初め(その前から?)の高低差が今も遺っていることです。
 育種場は農学校に移管され、明治後期に校舎が時計台のあたりからここに移転しました。校舎も、競馬場跡の良さそうな土地に配置されたと想えます。メインストリートも、この微高地に通じました。

 では、そもそもなぜ、ここに官園が設けられたか。長くなるので(というか、もうすでに長い)やめましょう。

 注①:『さっぽろ文庫50 開拓使時代』1989年、p.93、富士田金輔「開拓使の洋風農業導入における札幌官園の現術生徒の役割」『「新札幌市史」機関誌 札幌の歴史』第52号2007年、pp.21-34
 注②:『札幌競馬沿革誌』1928年、p.18。現在のレースに近い形では道内で初めてで、国内でも4か所しかなかった一つだったという。
 注③山田秀三『札幌のアイヌ地名を尋ねて』1965年、pp.42-60。同書に記されるとおり、サクシュ琴似川は本来「サクコトニが原音に近く、「アイヌ語にシュにあたる子音はないようだ」(p.47)。これまで拙ブログではサクシコトニと表記してきたが、今回は札幌市管理の川名にしたがい、サクシュ琴似川とする。

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プロフィール

keystonesapporo

Author:keystonesapporo
1991年から札幌建築鑑賞会を続けてきました。
逍遥する時空:札幌、歴史、地形図、地理、地誌、地名、地形、地質、軟石、石蔵、硬石、採掘場、煉瓦、サイロ、腰折れ屋根、地神碑、墓地、旧河道、暗渠、メム、古道、微地形、高低差、クランク、境界、橋、歩道橋、電柱、バス停、踏切、古レール、神社の玉垣、小祠、二宮金次郎、戦跡、古い樹、河川網図、都市計画図、住宅地図……

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